チビチリガマ
沖縄戦末期の1945年、米軍が読谷村に上陸した際、「捕まれば拷問され殺される」と信じ込まされた住民85人がチビチリガマに避難し、やがて集団自決(強制集団死)に追い込まれました。赤ん坊から高齢者まで命を落とし、生き残った人々も深い心の傷を抱えました。チビチリガマは現在、戦争の悲惨さと命の尊さを伝える平和学習の場として、多くの人々に語り継がれています。戦争がもたらす悲劇を後世に伝える貴重な戦争遺跡です。
シムクガマ
シムクガマは沖縄戦時、読谷村の住民約1,000人が避難した自然壕で、ハワイ帰りに2人の男性によって多くの命が救われた場所です。近隣のチビチリガマとは対照的に、住民たちは米軍の呼びかけに応じて壕から出たことで集団自決(強制集団死)を避けることができました。人々の助け合いと勇気が命をつなぎました。シムクガマは、戦争の中でも希望と人間の強さを感じさせる平和の象徴です。
米軍上陸の碑
米軍上陸の碑は、1945年4月1日に沖縄戦で米軍が最初に上陸した読谷村の海岸近くに建てられた記念碑です。ここから本格的な地上戦が始まり、多くの命が失われた戦いの幕開けとなりました。碑は、戦争の歴史を後世に伝えるとともに、平和の尊さを考える場として整備されています。修学旅行や平和学習の場として多くの人々が訪れています。
艦砲の喰ぇー残さー歌碑
「艦砲の喰ぇー残さー」歌碑は、沖縄戦を体験し、戦争体験の歌に基づいて、読谷村に建てられた碑です。激しい艦砲射撃で家も畑も家族も失った悲しみや怒りを、「艦砲射撃の喰い残し」という意味の沖縄方言で表現しています。碑には歌詞とともに当時の思いが刻まれ、戦争の苦しみと平和への願いを今に伝えています。住民の声を後世に残す貴重な平和のメッセージです。
さとうきび畑の歌碑
「さとうきび畑」の歌碑は、沖縄戦の犠牲者を悼み平和を願って作られた歌を記念し、読谷村のさとうきび畑に建てられました。作詞作曲の寺島尚彦氏が戦跡を訪れ感じた思いを歌にし、2012年に碑が完成。ボタンを押すと歌が流れ、歌詞にある「ざわわ」にちなみ66本のさとうきびのオブジェが設置されています。静かな畑の中で戦争と平和について考える場となっています。